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意外な事実!ハーレーの原チャリとは?Harley-Davidson Topper

2022.9.7
ステイライダー編集部

いやまビッグバイクの王道を行くハーレー・ダビットソン。その歴史は、100年以上も前の1903年から今日までずっと続いています。100年の歴史ですから、バイク市場も時代に合わせて大きく様変わりしてきました。

多くのバイク会社が死滅していく激戦の中ハーレーも時代に合わせたバイク開発を行っていました。今では想像もできないかもしれませんが、実はスクーター開発をしたことがありました。今回もまたアメリカから届いた情報をお届けします。

1. 幻のスクーター時代

ハーレー・ダビッドソン・スクーターは、1960年代、他のオートバイ会社とともに、米国市場でスクーターとモペットを大流行させました。(※モペット:ペダル付きバイク。)

急成長する郊外における交通手段の、新しい洗練されたフォームはまさに時を得たものだったのです。

『Topper(トッパー)』と名付けられたハーレー・ダビッドソンのスクーターは1960年からわずか5年間だけ製造されました。今日、これらのハーレー・ダビッドソンのスクーターは、コレクターにより収集され修復されています。

トッパー・スクーターは、165ccのツーストローク・エンジンと、「スクーターウェイ・ドライブ」と巧みに名づけられた可変オートマチック・トランスミッションを搭載していました。

ミッション操作が不要で、アクセルを回すだけで走行できるのでオートマチック・トランスミッションは、当時も今も、スクーターによく使われます。

燃費は「1ガロンあたり100マイルまで」と謳われていました。1ガロンが3.98リットル、1マイルが1.6キロで計算すると約4リットルで160キロ、つまり40km/ℓになります。

スクーターをキック・スタートさせることは、郊外では下品と思われていましたからトッパーのエンジンは、簡単なプルスタート・リコイルシステムを備えていました。

ハーレーのターゲット層は芝刈り機の始動に慣れていたので、トッパー・エンジンも、同じ基本的な方法で始動させたのです。これはたいへん受け入れられやすい方法でした。

しかし、その一方では当時スクーター市場を牽引していたクッシュマンという会社がトッパー・スクーター登場よりもはるか20年前から、人気を集めいて背景もあります。

2. 「サイドカーもあります、なんと90kgまでOK!」

今となってはおかしな話ですが、ハーレーも試行錯誤でマーケットを奪いにいくためにトッパー用のアクセサリーの中としてサイドカー・オプションがあったのです。

このオプションを、ハーレーはトッパー・スクーターの広告の中で、こう謳いました。

「通勤、お使い、遠出に最高!」

また、

「この便利なコンビネーションにはゴルフクラブ、つりや狩猟の道具、その他お楽しみの備品を詰め込めます」

とも説明しています。

もし、あなたが、オリジナルサイドカー付きハーレー・ダビッドソン・スクーターを、非常に良い状態で見つけたら、貴重な小投資を楽しむことができるでしょう。

このようなスクーターは、原状復帰した状態で、約12,000㌦の値がつけられています。

サイドカーはハーレー・トッパーの唯一のサイドオプションではありませんでした。

本物のサイドカーの車体の代わりに備え付けられた、サイド装着型ユーティリティー・ボックスを購入することもできます。

ハーレー・ダビッドソンは当時の広告で、トッパー・スクーター用のサイドユーティリティボックスは、「200ポンド(90kg)の荷物」を輸送するのに使えるものだと説明していました。

ユーティリティー・ボックス・サイドカー付きのハーレー・ダビッドソン・スクーターは、新聞配達にもぴったりだったでしょう!

話を現代に移すと、ヤマハC3スクーターは、その箱型スタイルがトッパーに似ています。

このC3スクーターを見て、ここで紹介したような車輪付きのアイスボックス、または「クーラー・スクーター」を思い出す人もいるでしょう。

時を同じくして、ご近所を忙しく走り回っていたのは小さなハーレー・ダビッドソン・スクーターだけではありませんでした。


3. ハーレーの小型化、スクーター以外にも?Harley-Davidson M50

ハーレー・ダビッドソンM50も同様に走り回っていたのです。ハーレー・ダビッドソンは、1960年ごろ、アエルマッキと50/50のパートナーシップを結んでいました。

アエルマッキは、イタリアのヴァレーゼにあるイタリアの会社で、航空機メーカーから始まりましたが、当時はオートバイを作っていました。

アエルマッキは、今日でも、非常に精力的に航空機を生産しています。しかしオートバイ事業は、AMFハーレー・ダビッドソンが採算がとれなくなって手放すことになった後、1978年にカジバに買収されました。

ちなみに、ハーレー・ダビッドソン・スクーター、もしくは一般的なオートバイの最新情報によると、興味深いことに、30年後の2008年、ハーレー・ダビッドソンは
カジバからMVアグスタを買収してイタリア・ヴァレーズの同じオートバイ工場に戻っています。

ハーレー・ダビッドソンM50は、50ccエンジンを搭載したモペットにより近いスタイルです。1965年におよそ225㌦で販売され、若者層に対し

「家族に車を出してもらわなくても、気持ちよく行き来できる手段」

と宣伝されました。

ハーレーM50にはいくつかのバリエーションがありました。レギュラータイプのM50には、モペット式の燃料タンクが、下斜め向きに取り付けられていました。

M50-Sはよりトラディショナルなオートバイスタイルのガソリンタンクを装備していました。

ペダル付きバイク、モペットとも呼ばれるM50の変わった点は、三速トランスミッションが左ハンドルバーのグリップを介してシフトされることでした。

ライダーは、実際、左グリップとレバーの部品全体を回転させて、ギアを切り替えなければなりませんでした。

今日、M50は、トッパーが持っていたのと同様の価値を持っているとは思えません。

最近では修復なしの良い状態のM50が、トッパーの約1/10の価格、1200㌦で売りに出されていました。

4. Harley Davidson Topper 広告コレクション

若くて清楚な女性を起用し、さわやかなイメージ。

同じく、若い層をターゲットにしたイメージ。

 

「ハーレーで行く、魚釣り。Topper」のキャッチコピー。

 

「短距離最速!ハーレー・ダビットソン、Topper」のキャッチコピー。

「家族みんなで楽しめる、世界最高のスクーター」のキャッチコピー。
家族でケンカにならないよう、仲良く乗らねばなりませんね。

「あなたはどれ選ぶ?ハーレーよりオールラウンドなラインナップ」

生誕から60年ほどのハーレーは、広く市場を獲得したかったのが伺えます。

(画像元:VOICE OF EAST ANGLIA – Harley Davidson Scooter  )

ハーレーダビッドソンのバイクメーカーとしての試行錯誤がここに

原チャリを作っていた歴史を知ると、ハーレーもバイクメーカーとして本当にいろいろな可能性を模索したことが伺えます。

若者層の獲得、さらにはファミリーバイクとしての提案まで。100年以上の歴史があるだけに、いろいろな企業努力が見えるとより愛着が湧いてきます。

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